ハリウッドVFX業界就職の手引き

ハリウッドVFX業界就職の手引き
鍋潤太郎氏による、海外のVFX業界で働くための手引き。お薦めです。

2015年6月22日月曜日

外国人を雇ってみる その5

「外国人を雇ってみる」と題したシリーズの最終回です。これまで外国人を雇うにあったて留意すべきことを書いてきましたが、ではそもそも外国人を雇うと何がいいのか、というお話で締めたいと思います。


技術レベルを高める

私がこの業界で働き始めた頃、SIGGRAPHなどではすでにアメリカの一流のVFXプロダクションがプレゼンテーションを開いていましたが、私にはそのありがたみがよくわかりませんでした。英語がわからなかったというのはさておいて、例えば、ILMのような会社が、どれそれの映画でこんなすごい技術を使ったという発表をしたとします。そこで使われた技術は、そのスタジオの優秀なコンピュータ・サイエンティストが考えたアルゴリズムをもとに開発された自社ソフトを使って実現されており、「こんなすごい技術を使った」「あんな自社ソフトを作った」という話ばかりです。ご丁寧にそのソフトウェアのGUIのスクリーンショットまで見せてくれたものもありましたが、私にはそんなソフトを作る技量はありませんでしたし、そもそも発表された技術の情報が断片的すぎてアルゴリズムにすること自体不可能なように見えました。

これは今考えてみれば至極当然なことです。当時のVFXやCGプロダクションは、他社が持っていないような技術を手にし、それをプロプライエタリ(自社開発)ソフトに実装し、内部のアーティストにだけ使わせることで、技術的なアドバンテージを築こうとしていたわけですから、容易に他のスタジオが真似できるような情報を教えるわけがないのです。この状況が変わってきたのが、丁度VFXの仕事が海外にアウトソースされるようになってきた12、3年前くらいからです。Digital Domainが自社開発のコンポジット・ソフトNukeをThe Foundryに譲渡したり、Sony Pictures ImageworksやILMなどの大手スタジオがAlembicやOpen EXRといった社内技術をオープン・ソースとして公開するようになったのは、社内にアーティストを抱え続け、彼らを教育するコストが割に合わなくなってきたこと、他社との協業が増えてきたこと、そして、その結果プロダクションを渡り歩くようになったアーティストにとって、ある特定の会社の内製の技術というのは潰しが利かなくなってきた、というのが理由としてあるのです。よって、業界で広く使われるべき技術に関しては、むしろ積極的に公開し、アーティストがそれらの技術を身につけることで、プロダクション側もいつでも必要な時にそうした技量を持ったアーティストを即戦力として雇えるようになるようにしてきたわけです。

つまり、今ハリウッド映画のVFXを受注しているプロダクションを渡り歩きながら腕を磨いているCG屋は、ある意味業界の標準技術を、どこのスタジオででも発揮できるような形で身につけている可能性が高いです。せっかく雇っても、「どこそこのなんとかというソフトがあれば働けるんですけど」などというハズレのアーティストを引く可能性は、昔よりは低くなっていると言えるでしょう。

世界のマーケットに出て行く

日本のコンテンツ・メーカーの中には、国外のマーケットを2の次に捉えている向きもあるようですが、これはせっかく作ったコンテンツで大きな利益が得られない、ということだけでなく、現場のクリエーターの士気も挫きます。私自信のみならず、海外で働いているCG屋の多くは、自分たちの苦心の作品を一人でも多くの人たちに見てもらいたい、という思いがありますし、大きなマーケットをターゲットにすることで、ある程度規模のあるバジェットを使って作品作りができることを期待しています。もちろん始めから海外のマーケットを視野に入れて作品作りをすることは楽ではありませんが、ここで外国人スタッフを活用する、という考え方が出てくるわけです。

1つが、これはスーパーバイザーやプロデューサークラスの人材に限られますが、彼らに実際に海外からクライアントを呼び込んでもらったり、作ったコンテンツの海外展開を助けてもらえる、という可能性です。日本でも海外からの仕事を受注しているプロダクションは僅かながらありますが、私が見るところ、こうしたプロダクションはそのほとんどが海外のクライアントと交渉できたり、人脈を持っていたりする外国人か海外経験の長い日本人を間に立てています。そうでなければ、ただ実力があるだけで仕事を受注したり、こちらのコンテンツを売り込んだりといったことは難しいでしょう。とくにアメリカはこの辺は非常にシビアで、これに関してはアメリカのVFX業界のレポートで定評のある鍋潤太郎氏がPRONEWSに最近寄稿された記事に詳しいので、そちらを読んでいただくことをお勧めします。ちなみにこの記事には私のこのブログの投稿へのリンクもありますので、そこをクリックしていただくと、私のブログと鍋潤太郎氏の記事の間をぐるぐる回ることができる、という寸法です。

もう1つはより制作サイドの話ですが、自分たちのコンテンツの内容が、海外のマーケットでどのように受け取られるか、ということのフィードバックを内部で受けられる、ということです。日本で作られたコンテンツは、いい意味でも悪い意味でも非常に「日本的」であり、そこに魅力を感じる海外のファンもいるわけですが、残念ながらマジョリティではありません。例えば大半の欧米人にとっては、日本の漫画やアニメ、ゲームに出てくるキャラクターは非常に幼くみえます。これは日本人が「かわいい」ものにたいする執着心が強いせいかもしれませんが、しばしばそうしたかわいいものと性的な描写や暴力が一緒になってしまうため、小児性愛者のための娯楽、のように受け止められている節があります。私の見たところ、大概のアメリカ人にとって、小児性愛というのは鬼畜以下であり、実際の罪の重さは別として、社会的には殺人よりも見下げた犯罪と見なされているように思います。これは別に小児性愛者がいないということではなく、そうした社会的弱者が一旦搾取されると、とんでもないところまで突き進む犯罪の温床がある、という社会的な問題かもしれませんし、単にキリスト教的な道徳観に反するからかもしれません。いずれにせよ、こういうことに足元をすくわれて、せっかく作ったコンテンツが海外市場に出れないというのはもったいないですから、彼らから客観的な意見を募るというのは参考になるのではと思います。

多様性

これまで5回にわたって「外国人を雇ってみる」という題で話をしてきましたが、実は私自信はアメリカで「外国人」という呼ばれ方をされたことはほとんどありません。移民局が私のような人間をAlien(外国人)として区分しているのは知ってますが、普段はニュース・メディアですらめったに使われない言葉です。私のバックグラウンドが話題に上るようなシチュエーションでは「アジア系」とか、そのものズバリ日本人とか呼ばれることはあります。しかし、普段社会で重要視されるのは合法的にアメリカに滞在しているか、十分な経済的バックグランドがあるか、といった点であり、私が外国人であるかどうかは、私の趣味が何かといったことと同じくらいどうでもいい話題なのです。

私を含め、大半の日本人にとって「多様性」という価値はわかりづらいところです。アメリカはもともと移民が集まってできた国であり、その移民もヨーロッパ系から南米系、アフリカ系、アジア系と実際に多様です。そういった様々なバックグランドを持つ人々が集まることで生まれた文化が、自分たちの国を豊かにしている、と考えはいささか楽観的すぎる発想にみえます。一方、日本人は同族社会が生み出す均質性、社会的モラルの高さ、相手の意図を読み合う「予期できる人間関係」(いわゆる空気を読む、というやつです)の良さに慣れており、「多様性」などと聞くと、「だからアメリカではしょっちゅう人種対立が起きるんだ」などとネガティブな結論に結びつけがちです。しかし、この相手が何を考えているのかわからない不確実性を「豊かだ」と受け入れるのは、社会的な成熟の度合いを示しているのではないか、と私は思います。バックグランドの異なる人々を受け入れる、というのは非常に面倒臭いことですが、すでにアメリカはそうなっているわけで、社会の仕組みをある程度整えることで、その違いを乗り越えていくしか未来はない、ということなわけです。一方日本では日本人以外の人々を「外国人」でひとくくりにし、自分たちとの比較対象としての部外者か、経済的なメリットをもたらしてくれるお客さんか程度の扱いしか知りません。それをとりあえずはじめは職場の同僚として受け入れることで、それ以外の関係を作る足がかりにできるのではないか、というのが彼らを雇うメリットだ、と言ったら大概の会社は「うちは国際親善をする場所じゃないんだ」とおっしゃられるかもしれませんね。しかし、今回の私の話の締めは、そういうことです :D

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。